【お知らせとお願い】営業時間 テイクアウト11時~17時 喫茶室12時~15時半、定休日 ㈬  現在季節のあんみつは焼栗餡あんみつ、メデイアにて多数ご紹介頂きましたが、高田馬場店舗は平日は比較敵落ち着きました。週末はまだ混み合いますので時間には余裕を持ってご来店下さい。

【通販ご利用のお客様へ】メデイアに多数取り上げていただきありがとうございます。通販が大変混雑しておりましたが、ようやく商品出荷まで7日程度とになりました。

寒天工房 讃岐屋アクセス

〒169-0075 東京都新宿区高田馬場3-46-11 TEL:03-5489-5489

東西線落合駅より徒歩12

西武新宿線下落合駅より徒歩7

JR高田馬場駅早稲田口より徒歩15

JR新宿駅より関東バス10

神田川沿いの遊歩道は、

桜並木で春はとても綺麗です。

風情がありとても新宿とは思えない場所。

そんな場所にポツンと

讃岐屋はあります。

是非一度散策し、都会の新しい発見をしてみませんか。

コンセプト

一途

さくらんぼは通常のせない。

あんみつはお好みでトッピングしてほしい。

寒天一筋で一〇〇年以上を歩んできたこと。

多くを語りたいこともある。

届けたい人に届くこの思い。

是非一度ご賞味ください。

あなたの近所の老舗

私からの小話
縁側に座った気持ちで
少し聞いてください

20mmと5mm

当店のみつ豆用寒天は、20mmのさいの目サイズになっております。

通常のみつ豆用寒天のサイズは10mmが平均値のサイズですが、寒天の本来の味をしっかり食べていただきたい為に当店はあえて通常の2倍サイズで大きくしてあります。

また、ところてんのサイズは5mmとしています。通常の平均サイズの10mmと比較し半分にしております。

寒天の弾力とこしがなくてはできない技です。

初めて当店をご利用される方は、「こし餡あんみつ」「小倉餡あんみつ」がオススメです。シンプルに寒天の美味しさを味わえます。

猫の名前

「黒美(くろみ)」という商品があります。「黒美」とは私が飼っている猫の名前でもあります。それはそれは美しく可愛い黒猫です。

「黒美」という商品は、沖縄産の波照間黒糖を使用し生天で固めました。きなこをかけて食べますが、きなこは丹波産黒豆きなこを使用しています。

非常に手のかかる商品で、なかなか店頭には並びません。もし店頭に並んでいる場合は、ラッキーかもしれません。

今日道で黒猫に会ったら、讃岐屋の「黒美」を思い出してください。

縁側日記

最近はあまり見なくなりました。縁側も、日記帳も。

讃岐屋の大きな特徴の一つに、「縁側」があります。この場所には、日々、道ゆく人が腰を下ろしています。

もともと縁側というのは、「他人が入れる家の中」で、そこに腰を据えてお茶したり、お話する場でした。

そんな親しみのある場が讃岐屋にはあります。この縁側で、お客様とお話をよくします。

「当店のご利用は初めてですか?」とか、何気ない会話ばかりですが、中には仙台から来てくださっったお客様もいまして、とても嬉しかった思い出もあります。

この縁側での素敵な出来事が記せるよう、「縁側日記」として、日記帳を一冊置いておいています。

常に「飾らないこと」「本物」を届けるということに力をいれています。こだわりは大きく分けて3つ。

①原料は、厳然し一番の原料を使用。
②保存料は一切使用せず、素材のおいしさを引き出しシンプルに提供。
③最新の技術でお客様の期待に添えるような商品構成。

寒天には弾力があります。コリコリとして歯ごたえがあり、求肥餅はフカフカもちもちの食感です。

讃岐屋の代表的な商品「寒天」「求肥餅」は百年の力が現れていると思っております。それはまさに工場の力です。変わらない力を、受け継いでいく力が讃岐屋にはあります。

一〇〇余年

江戸時代から日本人に愛され続けてきた「あんみつ」や「みつまめ」の美味しさは寒天の食感と風味が決め手です。

ところが現代では、長期保存用の添加物により、本来の味わいが失われている物が少なくありません。

大正三年に創業した讃岐屋は、伊豆産の上質な一番天草だけを使い、熟練職人が自社工場内で自ら手作りする、無添加の「寒天」製造にこだわり続けています。

その得も言われぬ独特の舌ざわりと深い海草の風味はまさしく昔ながらの本物の味そのもの。

天然繊維が豊富で美容と健康にも適した当店自慢の逸品を、ぜひ一度お召し上がりください。

はじまり

先々代の岡照一は、四国香川県から上京したのは今から一二〇年前。

四国で育ち小さい頃食べたところてんの味が忘れられず、東京でみんなに食べてもらいたいと思い、現在の雑司ヶ谷で創業しました。

店名は、香川出身ということで「讃岐屋」と命名。

戦前は高田馬場駅周辺で、和菓子・洋菓子を手掛け職人も30名ほどいましたが、昭和六十二年に先々代が亡くなり、現在の地に卸中心に行う事を決意し移転しました。

これから

お店を増やしたいとか、会社を大きくしたいとかではありません。

ただ、このような日本古来の伝統商品は、後世にも引き継いでいきたい。

私一人での能力では、体力的・物理的に限界があります。小生の考え方に共有できるパートナーとともに、家業を継続していきたいと思っています。

神田川沿いの桜並木。

一途な思いには

縁側があります。